貧しかったため、シンクロ衣装は母の手縫い。世界大会で優勝した集大成の200着目を横に講演する石黒さん

瀕死の交通事故から奇跡の五輪

井手町いづみ人権交流センターは研修棟でこのほど、第3回の人権講座を開いた。交通事故で瀕死(ひんし)の大けがを負い、多くの後遺症に悩まされる中、母と二人三脚でリハビリを続け、オリンピック出場まで果たした石黒由美子さん(34)が、夢を信じる大切さを語った。

石黒さんは小学2年生の時、10対0で完全に相手側に過失がある交通事故に遭った。全身骨折まみれで顔は特にひどく、首から上だけで800針も縫う大けがを負った。目から光、耳から音、頭から記憶と言葉を失った。
この先一生、誰かの世話になりながら生きていかなければならない―と誰もが諦める中、母親は「今日から赤ちゃんを育て直せばいいんだ」と決意。〝リセット〟して前に歩み出した。
頭部に大量に残ったままのガラス片は、医者から「自然と出てくることはない」と言われたにもかかわらず、くしゃみやにきびのように排出された。母のオリジナルのリハビリで、視力は徐々に回復、視野も広がった。
重傷者が集う病棟で、たまたまテレビでシンクロナイズドスイミングを見た石黒さんは「これやりたい」。母親は「由美ちゃんなら必ずできるよ」とみじんの不安を感じさせず導いた。以来、石黒さんは出場を目指すアテネオリンピックから逆算し、日記「夢ノート」にこなすべき課題を綴るようになった。
さまざまな後遺症に加え、腎臓病も発症。自身の不幸を呪うと、母親は「人生は振り子。苦しい方に振れた分だけ、大きな幸せが約束されたのよ」と迷いがなかった。
三半規管にも障害が残り、水中での倒立はおろか、真っすぐに泳ぐことすらできなかった石黒さんだが、いつも前向きな母の意見に背中を押され、一つ一つ壁を超えていった。
強化選手の選抜から漏れ、初めて挫折。過食症とうつ、自殺願望に悩まされた際も、母は「1年半のブランクなんて関係ない。1分1秒と、由美ちゃんのオリンピック出場を疑ったことがない」と揺るぎなかった。
これをきっかけに、自分のためだけでなく、母のためにもオリンピックに出たいと思うように。2001年にはジュニアワールドカップでチーム2位、国体でデュエット2位に輝き、07年にはスイスオープンでソロ優勝。08年8月22日、北京で念願のオリンピック出場を果たした。泳いだその日は、これまで応援を続けてくれた母の誕生日だった。
石黒さんは「夢をかなえるためには、たった一人でもいいから『大丈夫だよ』『できるよ』と声を掛けてくれる人が大事。信じることの大切さ、信じてくれる人の温かさが、夢の実現につながる」と語った。
想像を絶する苦難に打ち勝ってきたにもかかわらず、講演では自らの努力はさらりと話し、前を向いて進むことや周りの支えの大切さに重きを置いた。耳を傾けた34人の参加者は「壮絶な人生を送ってきたはずなのに、苦労話でないところが意外」「中学生や子育て中の母親に聞いてもらいたい」と絶賛していた。【谷貴生】
【石黒由美子(いしぐろ・ゆみこ)】1983年10月生まれ。愛知県出身。北京オリンピックシンクロ競技日本代表、奈良女子大学大学院在籍。
小学2年生の秋に交通事故に遭い、顔面540針、口の中を260針縫う大けがを負った。一命をとりとめ事故から3日後に意識が戻ったが、記憶障害、顔面まひ、眼球打撲による網膜剥離、失明の危機、難聴などさまざまな後遺症が残る。
入院中に見たシンクロナイズドスイミングに憧れ、母と二人で夢の舞台を目指す。血を吐く努力を重ねた末、2008年の北京で念願のオリンピック出場を果たした。
現在はいじめ問題をテーマに研究をしていて、夢を追う姿を見せたいと、世界マスターズ大会で金メダルを目標に競技に打ち込んでいる。