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| ■ふたつの民族が対立して住む常夏の島国 |
| フィジー諸島 かけ足見聞記 |
| 高橋内科医院院長 高橋 権也 |
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第5回 フィジーの政治的な混乱は2つの民族の確執にあります フィジーという名前が知られるようになったのは、1779年にキャプテン・クックがトンガを発見したとき、トンガ人から隣に「フィジー」という国があると聞いたからです。列強の無理難題に苦慮したフィジーの王様は、イギリスに保護を求めました。それがきっかけで、1874年フィジーはイギリスに領有されました。 19世紀から20世紀はじめにかけて、イギリスは植民地の経済政策としてサトウキビ栽培を選択しました。しかし原住民のフィジー人はイギリスが期待するほど働いてくれませんでした。そこでイギリスは同じ植民地だったインドから、たくさんの労働者を連れてきました。かれらは非常に勤勉で経済的にも優れた素質があっため、砂糖はフィジーの主産業に成長しました。私たちがポリオワクチン投与で活動したラウトカは、砂糖の積み出し港として栄えました。今も砂糖はフィジーの主な輸出品になっています。
欧米人が来訪したころ、フィジーでは数多くの部族が争っていました。19世紀始めには各地の伝統的社会指導者(イギリス人は彼らをチーフと呼びました)が集まって部族連合体が形成されました。イギリスに助けを求めたのはこの連合体でした。チーフは世襲制で名門家族が代々役職を受け継ぎます。強力なチーフの制度はポリネシア文化の影響です。 現在でもこのチーフ制度は生きており、Great Council of Chiefs(GCC) という名前で枢密院か元老院の役割をはたしています。現憲法下ではGCCは大統領任命権があります。 私は、最後の滞在日の自由時間に、無人島で一日を過ごすツアーに参加しました。大きな帆船で2時間ぐらいかけて、ナンディー沖の小さな無人島にいきました。参加メンバーは私たち日本人3人に、オーストラリアとニュージーランドからのカップルを合わせ、全員で7人でした。このような小さいグループでもチーフを決めます。バイキング形式の食事や、カバの儀式や乗船するときなど集団行動の時はまずチーフから行動を起こすように求められます。チーフを持つという思考はこの国ではかなり一般的らしいです。 さて政治的混乱ですが、フィジーの国会は2大政党です。2つの政党は完全にインド系とフィジー系に分かれています。1987年の総選挙でインド系の政党がわずかな差で勝ちました。フィジー系の人々は「自分たち先住民族の権利が侵される」という危機感を持ちました。同年5月と9月にクーデターが起こりフィジー系に有利な憲法が制定されました。 1999年再びインド系の政党が政権を取りました。いくつかの政治的混乱があり、2000年と2006年にクーデターがありました。今年の1月には国軍司令官が暫定首相になりました。現在憲法は停止され、国会は解散し、軍が政権を握っています。この原稿を書いている2月の時点では、「3月に総選挙を行う」という国際社会への約束は反古になりそうな情勢です。(つづく) 【写真は村で見かけたフィジー系の子供たち】 |
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