ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No22
 韓国代表がイタリア代表を破った試合は、前にも記したように、会社があるために試合の生中継を見られないからと、90分の試合を40分位に短縮して放送していた特別番組を見ていた私が、結果を判っていながら初めて90分…、いやいや延長ゴールデンゴールで勝利を収めたから117分全て見た試合だった。それを充分に堪能したあと、TVのニュースを見ると、レポーターが、日本が負け韓国が次のラウンドへ進んだ事についての感想を道行く人々にインタビューをしていた。スーツを着た若いサラリーマンが「歴史の違いでしょう」と、笑いながら応えていた。
 それを見ながら「歴史の違いとはいったいどういう事なんだろう」と考えてみた。よく聞く言葉だけれど、実感したことは一度もない。確かに韓国は、4年前に初出場を決めた日本と違って、48年も前の大会からW杯に出場しているが、強豪イタリア相手に最高の試合を演じ、そして、破ってみせた選手達に「あなた達の国は、あなた達が生まれる前からW杯に出場されていますが、あなた自身は先輩選手達からどのようなものを受け継いで来られましたか」と、訊ねてみたら、なんとコメントしてくれるんだろう。よく判らない。
 でも、あの熱狂は凄い。4年前もあ〜だった…。
 私は自分が始めて見たサッカーの国際試合を思い出していた…。
 私が最初にサッカーの国際試合をスタジアムで観戦したのも韓国においてであった。それは日本が98年仏W杯の最終予選を闘っていた時だった。
 02杯の共催国で、最終予選のライバルでもあった韓国に東京で屈辱の逆転負けを喫し、その後ズルズルと引分けを重ね、W杯出場が絶望的になっていたチームをTVで応援している内に、TVだけでは我慢出来なくなった。一度生で見てみたいと思った。
 「生で見たい」と思っても、日本国内で行われていた代表戦は、常に満員御礼だったから諦めていた。
しかし、日本と同じ予選グループでW杯出場に挑む韓国代表の試合は、02W杯を観戦した多くの人の記憶に残っているであろうあの真っ赤な熱狂が嘘のようで、例えば、韓国代表がソウルでカザフスタンと戦った試合など、TVで見ていたから判ったのだが、明らかにガラガラだった。韓国代表が出場する試合であるにもかかわらず、今大会の韓国代表が出場する試合会場以外と、まったく同じ状態だった。
 『韓国でなら、試合が観戦出来るかも…』と考えた私は、仏W杯最終予選日本―韓国戦がソウルで行われる97年11月2日に併せて、ソウルを旅行することにした。試合はあくまでも、旅行のついでで、本当に観戦できたらラッキー程度に考えて…。
 いそいそと、旅の支度を終え、勇躍、ソウルに降り立ち、出会ったガイドさんに「観戦したいんですけど…」と、訊ねてみた。彼女は呆れ顔で「日本との試合は無理ですよ」と言った。私は試合会場、ガラガラじゃないですかみたいなことを、TVで見たカザフスタン戦の状態を思い出しながら言ってみると「対日本戦以外の試合ならそういうこともあるかもしれませんが、ご存知のように歴史的な背景がある日本との試合はすぐ売り切れてしまうんですよ」「あなたのためにチケットを手配するくらいなら、自分で見に行きますよ」とあっさり言われてしまった。
その言葉に「あ〜残念」と思いながらも、せっかくソウルにいるのだから、試合が行われるチャムシルスタジアムの近くまでは行って、国際試合の雰囲気とはどういうものかだけでもチェックしようと思い、滞在二日目、その通りに行って、呑気な自分を恥じた…。


 キックオフ1時間前であるにもかかわらず、会場周辺はとんでもない事になっていた。顔にペイントする人、銅鑼や太鼓を鳴らして騒ぐ人、宗教活動や政治活動までまで行われていた(前者は十字架を掲げている事で、後者は襷を巻いた人がお辞儀をしている事で判った)。それら等々な行為が集まって、何かJリーグの会場とか、甲子園等とは全く違うエネルギーを作っていた。
 そしてスタジアムである。スタジアムの中から、繰り返すが試合1時間前のスタジアムの中から『人が集まり、一つ目的に向って声を出したらこんなになるのか』と、その場で立ちすくむしかないという程の歓声が、私の中に入ってきた。それは、戦争映画の突撃シーンとかに出てくるあの「ワー」とかいう、文字にするとアホな字になってしまって、どうにもイケテナイが、そういうのに一番似ていて『サッカーは時に戦争である』という事は、こういうコトを指すのかもしれない思ったりした。まっ、イケテナイのは戦争映画が作り物であるからで、戦争を生で体験していない私は、最初に使った『歴史の違い』という言葉と同じように、実感がないまま、世間がよく言っているからと、安易に『戦争』と言ってしまったが、他の表現は…まだ思いつかない…。
 そんな事を考えながら周りを見渡してみると、少しばかり知っていた歴史的な背景を思い出した。だから「おまえ等日本には負ける訳にはいかない」というのがそのエネルギーの一部で、それが日本人である私に向けられているみたいで恐くなった。だから、
 「まっ、雰囲気感じれたんだし、ここは退散するか」と回れ右をしつつも「ホントに戦争じゃないんだから、なんとかこの中に入って試合が見たいな」などと、心の底では後ろ髪を引かれていた私に見せつけるように、空高く伸ばした手の先でチケットを振り回し、韓国語を叫んでいる老人がいた。
「ダフ屋だ」
 とっさに思った。「あの中で試合が見られるかも…」と、彼にフラフラ近づく私の腕を横から掴み、同時に強く引っ張るヤツが現れた。「ダフ屋を取締まる警察か」と思って顔を向けると、グラサンかけた如何にも私服警官を連想させるお姉さん。
「捕まったの…俺…」と思ったがどうやら違うらしい。それは、眼の前にいるダフ屋がまだチケットを振り回しているコトで判る。ダフ屋を捕まえず、そいつから少々高くてもチケットを買おうとしている素人だけを捕まえるなんてコトはありえない(老人はサクラという可能性もあるが)から、彼女は警官とかじゃない。日本人を痛めつけてやろうとしている様子もない。冷静に考えれば、普通に歩いてる日本人と韓国人の違いはなかなか判らないハズ。日本にいる在日韓国朝鮮人だって、アメリカ育ちのTシャツとジーンズ着て歩いてりゃ、見分けるの不可能だ。断言出来る。
 じゃあ誰なんだと、すっとぼけた顔を彼女にさらし、掴まれた腕を振り払うのも忘れていると「○÷×※××」と英語で言ってくる。学生時代の英語の成績は、そりゃもう、目もあてられなかった私、当然、何を言っているか判らなかったので、すっとぼけたツラを晒していると、再び英語で、しかし今度は、ゆっくり丁寧に「私の余りチケットを買わないか」と言ってきた。「ハァ」といった感じで頷き、通じるかどうかが判らぬまま「はう…まっち」と『え・い・ご』で訪ねてみた。すると「定価でOKよ」と笑顔で応えた。
定価で譲るなんて、怪しいな〜と、逃げ出したくなったが、彼女は私の腕を掴んだままで放そうともしない。私は知り合いなんて誰もいないから、恥かしがらずに「ぷりーず しょう みい ざ チケット」と『え・い・ご』で言ってみた。
 彼女は笑顔で応じ、高そうな財布からチケットを取り出して私の前に差し出した。
 「通じた」ということが訝かしがったので、そういう顔をしながら、差し出されたチケットを見てみた。しかし、全てハングル文字で書かれていて、ホンモノかニセモノかがさっぱり判らない。印刷(02年W杯のチケットと全然違っていた)がチープで、ニセモノくさい。誰かに聞いてみたかったので、周りを見回すと、正真正銘のダフ屋である老人(サクラではなかった)に群がる韓国人と「このふたりは何してんのや」といった感じの野次馬韓国人だけで埒があかない。だから「怪しいから、断ることにしよう」と、掴まれている腕を振りほどこうとした私の、掴まれていないもう一本の腕が、彼女以外の誰かに掴まれた。
「今度は何だ」と、振り返ると、日本代表のジャージを着た人間2人が、韓国代表のジャージを着た人間達に楽しそうに引っ張られらて、私の方にやって来る姿が目に飛び込んできた。私の腕を掴んだのは、それを知らせようとする、赤いジャージの腕だった。
 周りの韓国人達は英語で日本代表のジャージを着た人間に「チケットを見せてやってくれ」と言っている。事情を察したふたりは自分のチケットと私が買おうとしているチケットを見比べてくれた。そして「定価で譲ってもらえるなんて、おたくはラッキーだね」といった顔をしながら、本物である事を保証してくれた。
 私は彼らの行為に感謝し、私のために骨を負ってくれた韓国人達に感謝した。そして、彼女から定価でチケットを購入した。内心日本代表のジャージを着る二人を見たとき「そんな格好で歩いていて大丈夫なのか」と、心配したが、そこには実に友好的なムードが溢れていた。歴史的背景を知っているだけに色々心配したのだが、どうやらそれは考えすぎのようであった。
 しかし何故、彼女は私にチケットを定価で譲ることにしたんだろうか。残念ながら二人の日本人もそれを聞きとるまでの英語力はないようだった。
 だから、謎だけど、グラサンをかけたキレイな人イイ人が現れたという記憶だけが残った…。
 奇跡としか言いようがない状態でチケットを手にした私は「初めてサッカーの国際大会を生で観戦出来る」という、喜びを抑えきれぬまま、すさまじい歓声に沸くスタジアムへ向かった。


 そういえば、あの人、最後までグラサン外さなかった。せめて顔だけでも見たかった…(つづく)。

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