ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No28
 この、我々が乗船している『パンスター号』の目的地である韓国南部の釜山という都市は、日本でいえば大阪にあたるらしい。言葉もソウルの言葉に比べれば、非常に柔らかく、ソウルの言葉を標準語とすれば釜山は関西弁だという。私自信も調べてみると、釜山と大阪両都市は1985年8月6日、友好港提携を結んでいた。 等々を教えてくれたのは、私とTさんが、展望デッキから我々に与えられている『スタンダードA』と呼ばれる四人部屋に戻って来た時、ベッドでひとり、退屈そうに寝転んでいる男だった。
 「19800円、それってホンマ、どうしてそんなに安いんや」
 Tさんが6月29日韓国は大邱で行われる三位決定戦を観戦するためにと、私が所有している格安の旅行が多数掲載されている雑誌から見つけてきた=W杯観戦記K参照=船『パンスター号』を利用して釜山へ向かう三泊四日(船中2泊)のツアーの値段が、19800円でしたと言った時彼は、驚いて、こう聞き返してきた。
 年齢は私よりも少し年上だろうか。格闘技でもやっているのかと思わせるがっちりとした体格を持つ大男で、身長1b72aの私でも少し狭く感じるぐらいの大きさであったこの部屋のベッドに、体をねじ込むようにして寝転んでいた。
 驚かれるのも無理はなかった。
 Tさんがこの船を利用するツアーを見つけ、申込をする時「どんな船を使うのだろう」と思って、この船を所有する会社が開いているHPにアクセスして料金表を見た私自身も、彼と同じように、相当に驚いていたからだ。
 何故なら、この最大552人の乗客を、上からロイヤル・デラックス・ジュニオール・プレミアム・スタンダードという、計5つの値段が違う部屋に収容する事が出来るパンスター号の格安ツアーを申し込んだから、当然と言えば当然だが、最低ランクである私たちのスタンダードでも、片道13000円とあったからだ。
 HPを開いて値段を知った時、ツアーがとてつもなく格安だと知って驚いた私は、これを見つけてきてくれたTさんに感謝するだけで良かったのだが、船内で私達に初めてそのことを告げられたこの大男は、そうはいかなかった。
 彼は一般客として、直接この船を申し込んでいたから、HPに掲載されている通りの13000円を払っていたのに、同室の奴等は(私達の事だが)大阪と釜山の往復に加えて、ホテルまでも付いて19800円ポッキリだというのだから…。
「三位決定戦を観戦しに行かれるんですか」と、憤懣やるかたないといった彼の気分を変えたいがために尋ねてみると「いや、嫁さんに会いにゆくねん」と、予期せぬコトを言った。
 大男が断片的に話した事を統合してみると、彼はこの5年前、語学留学で釜山に行った時知り合った韓国人女性と結婚、そのまま釜山で就職して共に暮らしていたのだが、1年前に会社が倒産したので単身日本に帰り、ネイテブと同じくらいになった韓国語を生かした仕事をしているという経歴で、この旅は一ヶ月に一回、定期的になった嫁さんに会いに行く途中となる。
 「でも、まあ、この船が就航する前は飛行機で行ってたんやからね」と、奥さんの話をしている内にムカツキが解けてきたのか、それでも、安いことは安いのだという事で、気持を落ち着けたようだった。
 私がゲットした三位決定戦のチケットを所有していた韓国の航空会社に電話して、関空から釜山までの値段を電話で尋ねたところ、32100円との返答があった。
 決勝トーナメント一回戦で日本を下し、結局はブラジルに敗れたトルコと、ポルトガル・イタリア・スペインを破ったものの、残念ながらドイツに敗れ、決勝進出はならなかったため三位決定戦を戦う共同開催国で、成績では日本を圧倒した韓国チームの強さの秘密や、スタンドを、街頭を、チームカラーであるトコロの赤で染めるサポーター達のパワーの源を、この旅で知ることが出来たらと、思っていた私は、この奥さんが韓国人である日本人に「奥さんは、今W杯での韓国チームの躍進を喜んでいらっしゃるんでしょうね」と、どのような答えを返してくれるのだろうかという期待を込めて言ってみた。
「ウチの嫁さん、サッカーに興味ないねん」
 ピシャリと、言われてしまった。
 それが、あまりにもハッキリとした、跳ねつけるような言い方であったため、部屋の空気が悪くなった。
 この時、頭上から、韓国語のアナウンスが降ってきた。
 私とTさんには当然何を言ってるかは判らない。
 空気の流れを変えるチャンスと捕らえたのだろう。大男は、すぐさま「韓国人団体客に、食堂へ集合する事を促すアナウンスや」と、教えてくれた。
 3分後、再びアナウンスが鳴った。このアナウンスには日本語である「せとおおはし」「まるがめ」等という言葉が交じっていたため、この船が瀬戸大橋通過することを伝えるアナウンスだと判った。だから、
「なるほど、瀬戸大橋を通過するのか」と、呟いた私に大男は「よく判ったね」みたいな事を言った。続けて、韓国語でアナウンスした声と同じ声が、韓国語なまりの日本語で「瀬戸大橋を通過するので、皆さん、ぜひ展望デッキにお越しください」と、アナウンスされた。
 これを契機として、質問したことにより、自ら悪い空気を呼び込んでしまった事から逃れたいと思っていた気分そのままに、Tさんを促し、部屋を大男に「記念だから、見てきます」と言い残して、出た。
 強風に抵抗しながら開けなければならない、展望デッキへと至る鉄扉を力強く引くと、小雨が相変わらず降っていて、出て行くのに躊躇した。
「どうします」Tさんが聞いてきた。
 私は小雨が降っていても、楽しそうに明石海峡大橋を『決勝トーナメント一回戦であっさりとトルコに敗れた日本と違って、私達はまだまだW杯を楽しんでんねん』みたいな顔で眺めていた韓国人の、あの余裕綽々の顔に、せめて、虚勢だけでも余裕なトコロを見せたいとの対抗意識を燃やし『雨だから止しましょうよ』みたいな顔をしているTさんを急かして、展望デッキへの階段を上がっていった。
 上りながら、日本がトルコに敗れた決勝トーナメント一回戦の試合開場は雨が降っていた…。という事が頭を過ぎり、いよいよ、韓国人に対抗意識を燃やした。
 ともかくも大男に「嫁さん、サッカーに興味ないねん」と、ピシャリと言われた事が引っかかっていた。
 今は、そりゃ、興味がない人がいても全然おかしくないと、思っている。
 ニュースや新聞を見ると、韓国人の全てが赤い服を着て街頭に繰出している印象があった。けれども、普通に考えてみると、何処の国にも熱狂的に「何十年も応援している」という人もいれば「昨日から好きになったんや」というにわかファンもいるだろう。当然「サッカーより面白いやん」と、日々、地球の反対側で行われているせいで、深夜にしかやっていないアメリカ大リーグを見ているため目だけが赤いという人もいただろう。
 しかし「韓国人のあの熱狂の一端を嗅げるかも」と期待して質問したものの「興味がない」とピシャリと言われた時は、こう思わなかった。
「韓国人の奥さん、本当は自国の躍進に大喜びをしているんじゃねえのか」と、いう疑いを持ってしまっていた。
 何故なら『誤審問題』が、頭について離れていかなかったからだ。
 誤審をめぐる報道は、準々決勝・韓国―スペインの試合で、スペインの選手がゴールに繋がるセンタリングをあげた位置は、ビデオで見直してみると、明らかにゴールラインを超えていないのに『超えた』とジャッジされ、決まった筈のゴールが取り消された事を代表的な根拠のひとつとして『誤審や韓国よりのジャッジが行われてたから韓国代表は、日本代表よりも勝ち上がることが出来たのだ』と、日本代表がトルコに敗れ、韓国代表がイタリア代表を劇的なゴールデンゴールで破った日の翌日くらいから騒がれ始め、日を追う毎に激しさを増していた。
 これを書いている今ではこの大男、日本で働いているから『誤審のおかげで韓国は日本より上にいけたんだ』という報道を見聞きしながら、自国の代表の躍進に大騒ぎしている奥さんに会いに行くという立場にいたんだと思っている。
 そういう彼がうかつにも、他人である私に向かって「嫁さん、大喜びしてんで」と話せば「韓国代表があんなに勝ち進むとは思わなかった」というトコロに話が進み、終には誤審問題の話が出てしまうだろう。
 出てしまうと会話は「嫁さん、誤審で勝ち進んだのに喜んでるんや」という、大男には話づらい所に展開して行く。大男にはその事が判っていたから「嫁さん興味ないねん」と、跳ねつけるように言ったんだと、理解している。しかし跳ねつけられた時は、本当に興味がない人がいてもそれは当然なのに、そう思う事が出来なかった。
 普段はTVで見ることしか出来ないスター選手が、向うから自国に来てくれて、それもW杯という最高の舞台で戦ってくれるという事が嬉しくてチケットゲットに挑戦していた私自身も、是非生で見たいと思っていたスーパースターが「誤審かも」としか言いようがないジャッジを伴ったまま、次々に帰国して行くのを見ながら『遠いヨーロッパや南米でプレイする選手達を生で観戦できるチャンスはもうないだろうな』と、寂しがっているだけだったら良かったかもしれないが、それが日本よりはるかに上を、生で見たかった選手を次々になぎ倒しながら進んでいった共催国への嫉妬に変り「誤審のせいで勝ったくせに」と、世間同様に思っ事もあった私には…。
 『誤審のせいではない』と、今は思えるようになっている。その事は後々。
 観戦する三位決定戦に韓国の出場が決まった時には、誤審について、韓国人はどう思っているのかを聞きたいと思っていた。しかし、それをどう聞けば良いのかを悩んでもいた。だから、日本で働いているから誤審問題の加熱ぶりも知っていて、なおかつ奥さんが韓国人である大男は、質問相手としては、うってつけの人物だと思ったのだが、それはあさはかだった。
 もしかしたら大男、会社等で同僚が、誤審問題を話しているのをうんざりした顔で聞いていたかもしれない。
 展望デッキには、先程のように、小雨をものともせず、韓国人がそれぞれに瀬戸大橋をカメラに収めては、楽しんでいた。
 彼らに向かって、とてもじゃないが「誤審問題について」なんて、聞けるわけがない。
「誤審やえこひいきなジャッジなど気にせずに試合を楽しみたい」
 その笑顔を見ながら、ただ、それだけを思った…。  (つづく)

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