ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No34
 釜山駅韓国版新幹線セマウル号のプラットフォームは、赤い服を着た人が長蛇の列を成していた。  私とTさんを、2002年W杯63試合目である三位決定戦が行われる韓国第三の都市、大邸まで送る事になる列車の発車時刻は15時30分で、今は15時15分…。

 きっかり11時に下船後、釜山市の街並みを満足に観光することもなく、組み込まれていた土産物巡りを終え、一夜を過ごすホテルに着いたのは14時を少し回ったころだった。
 ホテルは片側六車線はあろうかという大通りに面して建っていた。
 大通り側からホテルを見上げてみると、まるで鉛筆
のように細い。 それは、日本と同じように、大きな通りに面している土地は高価であるからだと思われた。
 その証拠に、奥行きは充分にある。このことは大通りと、それに直結する脇道という角地に、このホテルが建っているために、よく判った。
 脇道は実に猥雑としている。偽ブランド店があった 通りに似ていて、気持ちが少し萎えた。
 ツアーコンダクター(以降TC)は、ワケの判らない土産物屋を案内するという任務から解放されたコトに安心しきった顔を、すぐさま釜山駅に向かわなければならないため、荷を部屋に投げ入れて来たような慌しさで、待ち合わせ場所であるロビーに出てきた私達に向けた。


 ここにはTVが設置されていた。一瞬見やると、顔面を包帯にくるまれた人間が、インタビューに応えていた。一瞬だったので、何かしらを考える余裕はなかった。只、その悲痛な姿だけが印象に残った。


 五分と歩かないうちに地下鉄の入り口があった。
 降りると、正面に掲げられている路線図を前にTCが、ここは『蓮山洞』という駅。釜山駅までは700ウォンで、約20分かかりますと教えてくれた。

 700ウォンは、日本円ではわずかに70円…。

 切符を買い、地下鉄を待っている間、彼女はカメラを持つ私に向かって「地下鉄構内で写真を撮ってはいけません。逮捕されますからね」と、教えてくれた。
 帰宅して調べてみると『撮影したらいきなり逮捕』というワケではないようだが、北朝鮮が攻撃を仕掛けてきた場合、地下鉄構内は、防空壕、その他軍事施設として利用されるため、撮影禁止にしているというコトが判った。
 年表を開くと、北朝鮮と韓国の間で1950年6月から行なわれ、1953年7月に終結したような感がある朝鮮戦争は、実はまだまだ戦争中、単純に、双方が攻撃しかけていない状態(休戦状態)であるということだった。
 このコトは、釜山市蓮山駅の構内で地下鉄を待っている時点でも、ある程度知識の中にはあったのだが、実感としては何もなかった。


 地下鉄が入線して来た。
 それに乗車するやTCが、座席を確保しようと、必死になったのには驚いた。
 眼前に老婆がいる。
 腰の曲がったその人を突き飛ばす威勢で彼女は大きな瞳を四方に向けている。
 が、奮戦むなしく、席は確保できなかった。
 ために、実に悔しそうな顔を我々に向けてきた彼女に「べっ、別に座らなくてもいいですよ」と言いながら、韓国人は儒教的な考えから、年配の方には非常に気を使うと聞いていたのに、老人を突き飛ばす威勢を見せた態度に、只、驚いた。


 我々が立っている反対側に並ぶ座席の隅に、迷彩服に全身を固めた軍人が、腕を、威厳を抱えこむかのようにして座っている。
「首に赤い徽章が付いているでしょう。階級が高い証拠ですよ」
 TCが耳打ちしてきた。
 この人、どう考えても軍事マニアには見えない。それでも、階級章を見ただけで、どれほどの身分であるかどうかが判るというトコロに韓国の置かれている現状の厳しさと、同じく迷惑至極な国である北朝鮮が隣国である日本との違いを感じた。


 列車が釜山駅に到着した。
 TCとはここで別れることになっている。
 彼女は試合終了後、釜山駅に着いたとしても、地下鉄が終了しているかもしれないというコトを伝えてきた。そういうことはまったく考慮に入れていなかったため「どうしましょう」と、相談してみると「タクシー運転手にこれを見せなさい」と、ハングルで書かれたメモをくれた。「あなた方が泊まるホテルの名前と『この二人は韓国語が出来ないから、よろしく』と、書いておきました」と、言ってくれた。
 韓国語も喋れないくせに、その程度のコトすら心配していなかった我々は、只々、感謝して、最後に素敵な笑顔を見せたヒトと別れた。
 
 地下鉄ホームからの長い階段を上ると、釜山駅構内。時計を見ると14時30分を指している。冒頭に記したように我々の列車は発車時刻が15時30分であったため、時間的に余裕がある。
「腹が減りましたね」
Tさんが言ってきた。
 6月29日、目覚めてからこの時間まで、我々が口にしたのは、高級ブランド店で出された高麗人参が入っているというお茶だけであった。だから、彼の提案に同意、食事が出来る店を探すことにした。
 見渡すと構内には、何かを食わしてくれそうな店が見当たらない。
 仕方なく、外を出ようと、ガラス戸を開けると、私達は釜山駅2階部分にいたということが判明した。
 一階までは、長さ20b、幅も20bぐらいのスロープが設けられている。
 その先は広大な公園になっていた。
 一角に大型ビジョンが設置されている。その前に、ドラムやその他、演奏システムが設置されている。たくさんの人々がなんらかの作業を行っていた。
 全員が赤い。代表ユニフォームや『Be Reds』と書かれたTシャツを着ている。
「これが、TVで何度か見た、あの通りを赤く染めた韓国人達の応援の準備か」と思うと、ワケの判らない土産物屋巡りで、忘れそうになっていた、W杯を観戦に来たという心地よい興奮が全身を包んだ。  ただ、その土産物巡りがあまりにも滅茶苦茶であったため、単に心地よい興奮だけではなく、高級ブランド店で思った事「自国の代表にしか興味がないコトは判るが、韓国人、ちょっと極端すぎるな 」というコトも考えていた。
 また、羨ましくもあった。
 そういうことを感じながら、ふと、公園ではなく足下であるこのスロープに集う人々を見て笑ってしまった。
 5b感覚で、露店商が店を出している。老人ばかりだ。1平方メートル程度の茣蓙の上に乗っかっている商品は、全てが『Be Reds』と書かれた赤いTシャツ。
「あのTシャツ、正規の販売店だけではなく、こういう露店でも売っていたんだ」と眺めているうちに、どの露店主もボール紙に、下矢印を大きく書いていることに気が付いた。


 下矢印は『値下げしました』のしるしだった。


 このTシャツが大量に売れるのは、今日が最後なんだから、投売りをしなければならないのは判らないでもないが、こうも露骨に値下げしているのを見ると「日本人がホンモノニセモノ関係ないと韓国人が思っているんじゃなくて、韓国人がホンモノニセモノ関係ないと思っているのかもしれない」と、考えたりした。
 この後、三位決定戦の会場で出会った、ソウルから来たという日本人の話によると、このTシャツ、ソウルでは3000ウォンで売られていたのに、釜山や試合会場前では、日本人と判るや、6000ウォンで売ろうとしていたという。この人がそのことについて文句を言うと「ソウルから持って来る金がかかってるんだ」と言っていたとか…。


 ともかく、飯を食う店を探したのだが、これが大変だった。
 日本的な考えでいたので、韓国語は読めなくても、メニューに掲載されている写真や店頭ショーウィンドーにある見本を指差し、注文しようとしていたのだが、韓国のレストランには、そういうものがひとつもなかった。 本当に見本どころか、メニューすらなく、私が見た範囲だが、壁際に当然ハングル語で書かれた―これがメニューであろう―短冊が並んでいるだけで、読めない人にはどうしようもない。なんとかなるかもと、優しそうな顔をした店主がいる店に入ってみたが、身振り手振りではどうしようもない。
 店主はキョトンとしていた。
 そんなこんなで、駅周辺を写真メニューがある店を探さんがために走り回っている時、Tさんが「全然汗かきませんね」と、言ってきた。
 確かにそうだった。この日の釜山市、雲ってはいるが、26度もあって、日本なら充分汗をかくような天候であるのに、お互い、全然汗ををかいていなかった。
 これは試合がある大邱市でもそうだったが、空気が非常に乾いていて、暑いことは暑いのだが、不快な気分を全く味わなかった。
 どこかで、開幕を早めたのは日本の梅雨と湿度を避けるためであったということを読んだのを思い出した。 
 ずっと日本にいる私には、外国人がそれをどれくらい辛がっているか判らなかったが、彼等の気持ちに気付いたのは、皮肉にも観戦を終え、日本に帰国した時だった。
 下船して大阪南港駅までの道程を五歩も歩かないうちに、全身に汗がまとわりつき、身体が重くなった。「なるほど、これじゃ、梅雨と湿気を避けるためというのは、判らないでもないな」と思った。
 さらには、日本と韓国、隣国とはいうけれど、天候一つをとっても、これだけ違いがあるということに、ひどく不思議さを憶えた。

 
 結局ショーウィンドーに見本を並べた店や、写真付メニューは見当たらなかった。
 15時15分、食事を諦めた我々は、釜山駅に戻り、セマウル号フォームへと向った。
 フォームは何処であるかという事を迷ったりはしなかった。
 14時30分、地下鉄ホームからここへ出た時は、まだひとりもいなかったのに15分前には、赤い列が延々出来ていた。誰が見ても大邱へ、自国の代表を応援しに行く人の列だった。
 誰もが満ち足りた表情をしているように見えたのは、自国の代表を応援しに行く喜びに満ちているだけでないだろうと思ったのは、こちらが腹の虫が収まってくれないという、苦痛に満ちていたからだった…(つづく)。    

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