ワールドカップ観戦記
梅原 幹正

No38
 6月29日18時40分・気温23度・湿度71l。長袖を着ていた私はそれほどでもなかったが、半袖のTさんは 「寒いですね」 を、繰り返していた。幾度も小雨が舞ったが、本降りにはならなかった。
 見渡すと、スタンドの9割がたが埋まっている。私とTさんの横に空いていた席も漸く埋まった。真隣は、背が高い、日本人の男がひとり。とっても大きなカメラを担いでいる。カメラマンみたいでかっこよかった。そのさらに向こうも日本人。こちらは男女6人組。というコト
で、ピッチ中央やや西寄り、正面にトルコベンチが見えるカテゴリーA第1列は日本人ばかりでで埋まったことになる。
 すぐ後ろは韓国人ばかりであったが…。
 カメラマンに 「こんにちは」 みたいなことを言われたので 「あなた、どのようにしてチケットを取得されたんですが」 と 「怪しげな業者に頼んで取得してもらった」 という自分達の苦闘記=ワールドカップ観戦記G参照=を、かくかくしかじか説明しながら聞いてみた。
 私達の苦労話に笑いながら 「私も似たようなもんです」 と言った彼だったが 「それはどんな苦労だったのか」 と、好奇心を剥き出しにした私の視線が嫌になったのか、避けるようにピッチを向いて、黙ってしまった。
 だから、そのことを聞くのを諦め『まっ、こうやって、観戦しやすい席を確保出来たんだから、怪しい業者が何処からこのチケットを手に入れたのかなんて事はもうどうでもいいや』と思いながら、同じようにピッチ向いたまま、試合前のざわつきに身を委ねた。
 国旗が、横断幕が、壁面を彩っている。韓国の国旗ばかりだが、ちらほらとトルコ国旗も見える。この日はじめてみたトルコだった。


 横断幕にはハングルで、英語で、漢字で、たくさんの文句が書き込まれている。
 『天下統一 大韓民国』と書かれた横断幕の二つ隣に『GOD BLESS COREA』と、ゴシック体が並んでいる。『COREAに神の恩寵がありますように』という、意味だと言うのは判ったんだけど『COREA』の意味が判らなかったので、Tさんに聞いてみると 「韓国のことじゃないですか」 と、普通に言われた。
「えっ、頭文字はKじゃなかったっけ」 と、Kが当たり前である筈なのに『なんでだ』みたいなコトを言ってみると 「ですよね〜、でも、自国のスペルを間違えるとは考えられませんね〜」 と言ってきたので 「じゃぁ、あれにはどういう意味があるんだろう」と私。「さぁ、謎ですね〜」 とTさん。
 チケット以外のコトを話題を話す私達に安心したのかカメラマンが「あれはですね〜、日韓共催W杯を英語読みにしたら、KOREAのKじゃ日本のJより後になって、JAPAN・KOREAになってしまうじゃないですか〜」と、喋りかけてきた。
「はい」と私。すると、
「それを韓国人『気に食わないから』と、Cに変えたそうですよ」と、教えてくれた。
「え〜っ、でも、ロゴはKOREA・JAPANで韓国の頭文字はKのままですよね」 と声を上げると「英語読みをどうするかという問題が起こった時、日本側が何も言わなかったので、KのままKOREA・JAPANとなったらしいですよ」と、言うのに続いて「ちなみに韓国では『我国の頭文字は本来、Cやったんやけど、植民地支配していた日本にKに変えさせられたんや』と、云うことになっているらしいですよ。もちろんそんな事実はないと思いますけどね」と、苦笑した。


 言葉が出なかった。
 なんでもかんでも日本のせいにする赤い人達のコトが少し、怖くなっていた。
 そういうことを思いながら目を向けると“守護天皇”と書かれた横断幕を見つけた。
 天皇って…なんで天皇が出てくるのか。横断幕を掲げているのが韓国人だけに、なんか日本を呪っているみたいな気分がして、赤い人達におぼえた怖さが更に深まった(帰国してから、ネットで調べたところによると、守護天皇は控えのゴールキーパーに向けたメッセージとあった・日本で言うトコロの守護神?)。


 大スクリーンにオフィシャルパートナーのCMが始まった。
 幾つ目かに『サッカーフィーバーには値段を付けられないけれど、値段を付けられるモノは我社のカードで買ってね』という狙いが、交差点・レストラン・バスの中で交差する人が、ユニフォームを交換するサッカー選手の様に、服を交換し合う映像に込められているCMが流れ始めた。
 大邱ワールドカップ競技場大スクリーンに流されたそれは「さすがは世界中で広告宣伝する権利を得たオフィシャルパートナーは凄いや」と、皮肉を込めながら日本でも何度も見ていたCMに登場していた筈の女子高生がブレザーを交換するシーンがカットされていた、だけでなく、それに変わるものとして、浴衣を交換する力士が登場していた。
 浴衣を脱いだ裸の力士が、褌一丁で交差点の真ん中を歩く姿は、とても気味悪かった。
 恐らく『日本人に不快感を与えないように』と、力士ではなく、女子高生が登場するバージョンを日本用にと、作成したのだろうが『我々はこうやって、あんたのコトを小馬鹿にしているけれど、あんたらの国用のは、変えておいてやってるんだから文句を言うな』みたいな扱いを感じて、少々ムカついた。それは怪しい業者に『こうやって、いい席で観戦出来るんだから、我々がどんなルートでチケット手に入れたかとか、どうやって儲けているかなんてコトは聞くんじゃないよ』と言われているような気になった。被害妄想が過ぎる気もするけれど…。


「いい、席ですよね〜」
「CMなんぞ、興味がありません」とでも言いたいのか、隣りの男が独り言のように、呟いた。
 それを、聞きながら『「いい席だなあ〜」って、妥協したりしている内に、怪しい業者に好き放題やられて、次の独杯でもチケットゲットに苦労するのはたまったもんじゃないな』と、べつに独杯観戦をい決めたワケでもないのに、被害妄想的な考えを持っていたので、気分が暗くなった。
 そんな気分は、もちろん無視したまま時は進む。
 場内の幾つかの照明が落とされ、視界が暗くなった。18時45分。
 スポットライトがスタンドを、ピッチを舐めてゆく。18時45分。
「FIFAワールドカップへようこそ。ただ今から選手の紹介をいたします。まずはトルコ代表」 と、ハングル、続いて英語のアナウンスが行われた。18時45分。
 チャングのリズムを合図に始まる


「テーハンミングッ」


 大スクリーンに次々現れるトルコ代表選手には誰も興味がないようだ。
 トルコ代表イレブンの紹介が、あっさり終わると、大歓声が全てを包んだ。
 地響きを感じる。それは始まりの雄たけび。
 負けじと数倍大きなアナウンス、これまた雄たけび。
 ユサンチョル・ソルギヒョン・イミンソン、それぞれに与えられる大きな歓声。一際大きいのはキャプテン・ホンミョンボ。更に大きいのは、イタリア戦のゴールデンゴールで世界に名を轟かせたアンジョンファン。 「スタジアム前のイベントブースに置かれていたゲーム機に貼ってあった写真の順番と、声援の大きさが同じじゃん」と、皮肉を加えるぐらいしなければ、飲み込まれてしまいそうになる


「テーハンミングッ」。


 選手が入場してくるのは両脇にカメラマンが居並ぶ花道。
 最初に出てきたのは、黄色い、パジ・チョゴリという衣装に身を包んだ数十名。方陣を組んでいる。大きなホーンが目立つオーケストラが後に続く。
 何をするのかなと見ているが、彼等はピッチ中央に直立不動のままで何もしない。
 清めの儀式であったと思われる。
 大歓声が落ち着いてゆく、18時50分。人文字が浮かび上がった。ハングルなので意味不明 (後から調べたところによると『次はKリーグ(韓国国内リーグ)を見に行こうよ』と、あったらしい)。
 アンセム〜2002FIFAワールドカップ公式テーマソングが鳴り始める。照明が戻った。
 『FAIR PLAY』旗を先頭に選手入場、カメラのフラッシュが、拍手を送るかのように、煌いている。止まないのは


「テーハンミングッ」


 選手の整列が終わると、国歌斉唱が始まる。最初はトルコ国歌。
 何処に用意されていたのだろう。巨大なトルコ国旗が左ゴール裏に浮かび上がった。
 その時だ。
 凄まじい、ブーイングが巻き起こった。
 初めて聞いたブーイングだった。4年前にソウルで観戦した日韓戦で君が代が流れた時は、ブーイングなんて全くなかった。韓国人は何処でコレだけのブーイングを学んだのだろう。私の左後ろの韓国人は、一際大きな声で 「ブ〜ッ」 と言葉どおりに喚いている。書いてみると『ブ〜ッ』 と、マヌケな文字になってしまって、どうしようないシロモノであるのだが、ピッチ全体が喚いているので、ちょっと味わったことのないような威圧を感じた。


 イタリアもスペインもポルトガルも、これには相当に参ったのではないかと思う。会場全体が真っ赤に染まっている中でのブーイングは、欧州で百戦錬磨している選手にも相当、堪えたのは間違いない。対戦するトルコの選手はどう感じていたのだろう。想像もつかない。


 その時、親善試合やなんかで韓国に来る以外、欧州の選手がこのブーイングを受けるコトはない。しかし私達日本は、KOREAのKをCに変えてでも上に行こうされ、それがKなのも我々のせいとされてしまう程のライバル心(敵対心か)を、W杯の予選がある度にブーイングとして、向けられる存在なんだと気付いたので『このブーイングに対抗する手段を自分は持っているだろうか』と考えてみた。が、そういうものは、全く思いつかなかった。


 思いつかなかったが、ブーイングに掻き消される事なく国歌を歌いきった名前も知らないトルコ人男性歌手の声が、ブーイングにまったく負けていなかったコトを私は忘れない。淡々と、それでいて力強くブーイングを跳ね返した歌声は、繰り返される「テーハンミングッ」よりも強く、耳に残っていた。なので、帰国後、録画しておいたTV中継でこのシーンを見てみると、なんとブーイングの音が完全に消されていた。


 それだけではなく、敵意を剥き出しにしたブーイングの後であるにも拘らず、アナウンサーは 「実に友好的ですね〜」と、言い放っていた。
 会場で聞いた『ブ〜ッ』を思い出しながら、ブーイングをそのまま流し「いや〜、凄まじいブーイングですね〜。韓国人の勝ちたいと言う気持ちがこういうトコロにも現れていますね」みたいなアナウンスをしても、誰もなんにも文句言わないと思うけどな〜と、別に気にするコトではないかもしれないが、ブーイングの威圧感と、それに全く負けない力強さで国歌を歌い切ったトルコ人歌手の勇気に感動を覚えていた人間には、力士が登場するCMを見たときに感じた『小馬鹿にされているという感覚』と似たものを、あったとは少しも思えない友好ムードを強調するTV中継に感じて、なんとも言えない、閉塞感をおぼえた。


 ブーイングに疲れたのか、続いて始まった韓国国歌の独唱に、会場がついてってなかったのには 、かなり笑えた。
 22人がピッチに散る。
 コイントス。円陣が組まれる。
 センターサークルでボールをキープし、時を待つのは安貞桓と朴智星。
 待ちに待った瞬間、が、沈黙が時を被い、キックオフを告げる笛がなかなか鳴らない。


 沈黙、実は黙祷だったのだが、この時点ではそれが黙祷であるコトすら判らなかった。


「何をじらしてんだ」と、興奮を抑え切れず、罵ったりしていた。
 約一分後、止まっていた時計の針に、勢いを付けるかのような大歓声が起こる。
 キックオフの笛はまったく聞えなかった。ボールが動き出したので『始まったんだ』と、思っただけだった。
 安貞桓から朴智星、更には最終ラインの右DF柳想鉄へ。
 パスを受けた柳想鉄に猛然とプレッシャーをかけるのは、トルコのキャプテンでFWのハカン=シュキュル。たまらず出した、センターに構えるリベロで、こちらもキャプテンの洪明甫へのパスが、少しゴール寄りにそれた。それでも、なんとか足元に納めたキャプテンだったが、キープした筈のボールを、一瞬見失った。場所は、ペナルティーアーク1b前方。いわゆるバイタルエリア。
 突っ込んで来たのは、もうひとりのトルコFWイルハン=マシンズ。ボールが流れたの先にいたのは、ボールホルダーにしつこくプレッシャーをかけに来ていたハカン・シュキュル。完全なフリーだった。
 ペナルティエリアに入るか入らないかの地点からインサイドで、滑り込みながら蹴りこんだボールは、GK李雲在の右を破った。
 トルコ1ー韓国0。
 時計の針に、韓国代表チームに勢いを付けるかのように発せられた大歓声が、収まる前から溜息に変ると、訪れたのは静寂だった…(つづく)。    

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